東京滞在記

7月4日から7月6日まで諸用で東京に行っていた。

遠出なんていつ以来だろう。それも今回の交通手段は高校の修学旅行くらいでしか利用したことのない飛行機だ。
根っからのインドア派(「引きこもり」のお洒落な言い換え)な私の胸は、出発前からざわつき、ご飯も喉を通らない。これが恋かしら。
ひたすらに忘れ物がないか気にかけながら、家を出る。
利用しなれた大阪駅までの電車も、いつもと違う緊張感に満ちているように思えた。きっとあの時の私は『はじめてのおつかい』に登場する子どもたちと同じような顔をしていたに違いない。私が天真爛漫な少年少女ではなく、何の愛嬌もないいい歳こいた野郎なのがただただつらい。

大阪駅で今回お世話になる人たちにお土産を買う。もっとよいチョイスがあったのではないかと疑心暗鬼。
新今宮で南海電車に乗り換え、多少の余裕をもって関西国際空港へ到着。
空港内を散策していたら、気づけば搭乗時間直前になっており、時間ギリギリに搭乗口へ。

飛行機に乗り込むと、私の隣にはおそらくはハーフの幼い女の子と、その母親らしき女性の2人が席についた。どうやら海外にいる父親に会いに行くらしかった。
久々の飛行機にヒートアップし、母親の制止を振り切り、目についたあらゆるものにいたずらを仕掛ける彼女。独り言のように響きつづける母親の声。
「危ないから、それおろさないでって、機長さんが」「それも閉めたらだめ」「CAのお姉さんに窓から放り出されるよ」
ただ、それも飛行機が飛び立ちしばらくすると飽きたのか、機内で食べるつもりのホットドッグの話や、彼女によって「うんち先生」や「おしり先生」といった、においたつようなあだ名を与えられた先生たち(いったい何者なのか)の話を、大きな声で愉しそうに母親に語っていた。

その時、突然響き渡る客室乗務員さんたちの悲鳴。「お客様!!!」「お座りください!!!」「お客様、お座りください!!!」
騒然とする機内、混乱する私。
どうやらとある男性がシートベルト着用サインが消える前に席を立ち、子どもをトイレに連れて行こうとしたらしい。
もう本当に勘弁してくれ、飛行機って墜落すると結構痛いと思うんだ。
静かに村上春樹の文庫本を読んでいた僕は、やれやれとため息をついた。

と、クールめに書いてみましたが、めっちゃ怖かったですほんとやめてください。

胃の痛む思いをしながら、それでも飛行機は墜落することなく無事に成田空港へ。しばらく空港で迷子を堪能したのち、東京駅へ向かうシャトルバスに乗る。ここでとりあえず一安心。

その日夕飯をご一緒させていただく約束をしていた、デザイナーの堺達彦さんに、予定の時間を少し過ぎてしまう旨の連絡をする。「顔がわからないので胸ポケットに薔薇を挿しておいて」と言われるも、着ている服に胸ポケットがついていなかったのでお断りする。

東京駅から、待ち合わせの駅に向かうまでの電車の中で、Twitterを眺めていると、達彦さんがその数十分前に「吐きそう」と投稿しているのをみつけた。体調が悪いのだろうか……。すこし心配だ。

たくさんの荷物とともに急いで約束の駅で降りる。チェックインが少し遅くなる旨を電話で宿に伝え、やっとのことで駅前の指定されたファミリーレストランに到着した時、達彦さんは「吐きそう」と呟きながら、しっかり一枚のステーキとライスをつつき、アイスティーを飲んでいた。不幸にして発言と行動が噛み合わない人なのかもしれない、と思った。

達彦さんとは、CDのパッケージ・デザインの方向性の話をはじめ、色々なお話をした。楽しかった。

達彦さんの帰る方向と私の宿の方向が同じだと言うので、ふたりで宿へ向かい、別れる。

宿の部屋
お世話になった宿のお部屋の写真です。「何かに似てる」と思っても、何に似ているかは言わなくてよろしい。

スカイツリー
翌朝窓から外を眺めたらちょうどうまい具合にスカイツリーが見えた。

お風呂で汗を流し、最近iPhoneにインストールしたセルフタイマーのカメラアプリで遊ぶ。


一枚目の写真人が2人いるように見せるために結構工夫したんですよとかそういう話別に要らないと思うので割愛します。

2日目。昼間時間が空いたので以前から行ってみたかった目黒寄生虫館まで足をのばす。
目黒寄生虫館
ここについてはたぶん見学しに行った方は大体同じ感想を抱くのではないかと思うので、割愛します。入館無料だし一度行ってみてください。生きたまま展示されているロイコクロリディウムとかいうやつやばいです。

夕方、今回の東京滞在のメインイベント。
秋葉原MOGRAさんと、今回のレコーディングをコーディネイトしてくれたPa’s Lam Systemのユンボ氏(結局ユンボという名前でいいんだろうか)のご協力のもと、「ハロー、グッバイ」でもボーカルを担当してくださった西山小雨さんのボーカルを2曲録音。

何しろボーカルの録音に立ち会うのなんて初めてだから右も左もわからない。秋葉原MOGRAのkei。さんとユンボに頼りっきりで機材のセッティングが進む。
途中、マイクの不調もありつつ録音の準備が整う。練習をしている西山さんの歌声ですでに感激が止まらない。

だって私はかつて雨先案内人のCDをCDショップで買えるものからライブ会場と通販でしか買えないCD-Rまで関西で買えるものは買い集めていたわけじゃないですか。「じゃないですか」と言われても誰も知らないと思うけどそうじゃないですか。そのバンドを好きになるきっかけとなった曲でリード・ヴォーカルをとっていた西山さんが今にも目の前で自分の曲を録音せんとしているわけですよ。これは事件と呼んで差し支えございませんでしょう。

どこの馬の骨とも知れない私が、今や “聖地” ともなった秋葉原MOGRAのスタッフ・kei。さんをパシりのように使うことに得も言われぬ罪悪感を覚えつつ、録音を進める。これまで制作しながら何度も繰り返し聴いたオケが、西山さんの歌がのることによって生命力を得始めることに言いようのない感動を覚える。

録音の様子は西山さんのブログで。完全に舞い上がった24歳男性の写真も見られます。
http://nishiyamacosame.pih.jp/2015-07-05-シャルロレコーディングとピーマンの肉詰め/

私の曲は、ドのつく音痴ゆえにふだん鼻歌も歌わないような奴が頭とパソコンの中だけで作ったメロディと歌詞なので、ひょっとしたらかなり歌いにくいのではないだろうかと思っているのですが、西山さんがその歌唱力と行き渡った解釈で以て一個の完成した歌にしてくださいました。とても素晴らしいです。期待してよいと思います。

録音が終わると、感極まった私は、気づけば壊れたサンプラーのように(壊れたサンプラーが実際のところどういう挙動をするのか私は知らないが)、録音に関わってくださった3人に向かって「ありがとうございます」を繰り返し唱えていた。
もとよりコンビニでアルバイトをしていた時代が長いので、他人よりありがとうを言う機会は多かったけれど、私はあの瞬間、人生の中でも最高値クラスのAPM(=ありがとう per minute)を叩き出していたと思う。でもなんだか言わずにはいられなかった。皆様本当にありがとうございました。本当にうれしかったんだよ。

録音が19:00過ぎに撤収したので、ちょうど自宅で夕食を食べている最中だった大学時代の先輩に連絡し、上野の居酒屋で一緒にごはん。色々とおおいに励まされる。あんな頼れる先輩になりてえよ。

上野駅で先輩と別れ、宿に帰る。

最終日。
この日はCDの流通を担当してくださる会社の担当者さんとお会いすることになっていた。
未開の民族の写真を撮り続けているという写真家さんが何やら語っているテレビ番組をなんとなく眺めながら、朝食のパンを食べ、ホテルをチェックアウト。スタッフの皆さんがとても丁寧で親切なよい宿でした。
宿の部屋
3日間ありがとうございました。

途中で迷子になりながらも、iPhoneの力を借りつつどうにか渋谷へ。本当にiPhoneがないとどこへも行けない。ありがとうiPhone、愛してる、もう何処へも行かないで。

渋谷駅から10分ほど歩いたところにその会社はあった。
社員の方に案内され、ゴミ袋を被せたキャリーバッグと機材の入ったリュックサック、そしてびしょ濡れの折り畳み傘という、自分がその建物の主ならば絶対に入ってきてほしくないであろう恰好で社内にお邪魔する(私は悪くない)。前方を行く担当者さんに何か声をかけられたと思い返事をすると、担当者さんは私の背後にいる誰かと会話を始めた(私は悪くない)。
飛行機の時間が差し迫っていたこともあり、ご挨拶もそこそこに簡単な打ち合わせを済ませ、会社を後にする。

予約していないから乗るのはむずかしいのかな、と思いこんでいたシャトルバスに、何の支障もなく乗車でき、快適に成田空港へ。行きの便で搭乗手続きは覚えたので、往路よりも多少スムーズに飛行機に乗ることができた。
さよなら関東
さよなら関東

帰りの飛行機は偶然にも窓際の席だったので、空からの景色を満喫。空の上が日常のパイロットと、地上を這い回る我々とではやっぱり考えることは違ってくるんだろうななどとぼんやり考える。

無事に関西国際空港に帰港。
地元に帰ると、安心すると同時に、現実に突き返される感覚があり、複雑な気分になる。いつか地元をただただ安心できる場所にしたい、と思う。